函館・道南では、地元の資源やオリジナルな技術を活用したユニークな企業が数多く活躍しています。
当ホームページでは、それらの企業を取材し、広く全国に向けて発信しています。
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日本人の食生活において、麺類すなわち蕎麦・うどん・冷や麦・素麺などは、おおよそ中世のころから親しまれてきた伝統食である。そして現代、日本人の麺食文化の中で大きな存在感を持つのがラーメン(中華麺)だ。
↑代表取締役社長 干場 庸稔さん
一説によると、明治初頭に函館で日本最初のラーメンが誕生したと言われる。戦後復興期、函館の繁華街には数多くのラーメン屋台が並び、いまやご当地ラーメンの一角を占める地位を得た「函館ラーメン」のルーツとなる塩味スープのラーメンが、函館市民の空腹を満たしていた。
戦後まもない昭和21年(1946年)、函館市内の製麺業者数社が共同して新たな会社を創業する。そこに参加したのが、丸正出口製麺初代の出口末治さんである。
そして昭和24年(1949年)、独立開業にいたる。
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創立 |
1946年4月 |
代表者 |
代表取締役社長 干場 庸稔 |
住所 |
〒040-0035 函館市松風町16-6
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TEL |
(0138)22-0392 |
FAX |
(0138)23-0868 |
E-mail |
info@deguchi.tv |
URL |
http://www.deguchi.tv/ |
従業員 |
6名(正社員)
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資本金 |
1,000万円 |
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開業当初は、うどん製麺がメインだったという。昭和二十年代後半、生ラーメンの需要が増加し、昭和三十年代後半には事業を生ラーメン製麺の一本に絞った。
「当時、ラーメン1杯50円くらいで、食事であり、おやつでもあった。当時は屋台から始めて店舗を構えだす店が増えだした時期でした。中華料理店やラーメン店だけでなく、ふつうの食堂などでもラーメンをメニューに取り入れるようにになって、ラーメン用の生麺の需要が大きく伸びたのです。」
昭和37年(1962年)入社の前社長・干場正光さんが当時を振り返る。
「大きな製麺機なんてなくて。小麦粉にまみれながら、人力で手回しの製麺機を動かしていたもんです。」
函館の製麺業者は、この当時ピークを迎えており、60社以上(組合加盟企業)を数えた。
「朝いちで配達して、昼にすぐ追加注文がきて、午後からもういちど配達する。いくら作っても追いつかない。そんな状態でしたよ。」
現在、地元の製麺会社は、出口製麺を入れて3社となった。
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▲新規導入の製麺機
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幾度かのブームがあって、現在、ラーメンは外食産業のなかで一定の地位を占める存在となった。個性的なレシピで人気を集める専門店が増え、スープやトッピングへのこだわりを競っている。そして、当然のようにそのこだわりは、麺へも向けられることになった。
「やっぱり麺あってのラーメンですからね。細いか太いか、ストレートかウェーブをつけるか、そのお店のスープにあう麺が必ずありますから。麺の形状は切り歯を換えることで対応できますから、さまざまな種類を取りそろえて対応しています。もちろん、お店が望むオリジナル麺の開発製造もお手伝いしています。」
素材の選択も新たなこだわりのひとつだ。これまで主にコストの問題から外国産小麦を原料としてきたが、昨今の「地産地消」などへの関心の高まりを背景に、国内産小麦を使用した製麺への要望を耳にするようになった。そこで取り組んだのが、北海道産小麦を100%使用した生麺の開発だ。
「ひと昔前の道産小麦は、生麺には向いていなかった。うちたての麺はうまいのだが、時間が経つと黒ずんだり食感が落ちたものです。今の新品種は、そういった欠点が見あたらない。」
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▲最新鋭のミキサー
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2008年からは、お土産用生麺「函館南京そば」の製造販売にも着手している。こちらも原料は道産小麦100%である。
現在のところ、主な販路は全国各地の百貨店などで開催される物産展などでの店頭販売。スープはパッケージに同梱せずに、お好みのスープを選べるようにして、お客様の嗜好に合わせている。評判は上々だ。
「これまでメーカーとしてやってきましたから、直販に関しては手探りの状態からスタートしました。店頭では試食と併行しての販売ですから、直接お客様の反応を見ることができます。売り方や陳列の仕方、商品のアピールポイントなど、多くのことを学びつつ、着々と全国でご好評をいただくようになってきました。」
お持ち帰り用商品は、製造・納入・消費のサイクルが早い業務用卸品とは異なり、ある程度の賞味期限を確保する必要がある。そのために、製造における品質管理の徹底に力を入れた。また、食品添加物の使用を控えながら、生菌(腐敗の原因となる)の繁殖を抑えるために、水分活性をコントロールする技術を北海道立工業技術センターとの共同研究で進めている。
「今後全国を相手に商売できるようになれば、今の工場では手狭な感じがありますね。顧客に良質な商品を安定的に提供するためにも、やはり広い環境が望ましいと考えています。」
平成26年、干場正光氏の長男庸稔氏が社長に就任。同年には老朽化した製麺機を新型機に入れ替えた。昨今は日本食ブーム到来の東南アジアでのフェアーなどにも積極参加、同社製麺事業のあらたな飛躍が期待される。
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▲お土産用生麺「函館南京そば」
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