函館・道南では、地元の資源やオリジナルな技術を活用したユニークな企業が数多く活躍しています。
当ホームページでは、それらの企業を取材し、広く全国に向けて発信しています。
|
|
↑代表取締役 福田 将仁さん
今や全国的に有名になった「王様しいたけ」の生産者である(有)福田農園も、そのスタートは逆境から脱け出すための懸命の模索から始まった。しかも、その模索の道には次々と障害が待ち構えていた。
桔梗で代々畑作農家を営んでいたのが現会長の福田昭利氏。ある時、畑作よりも米作の方が安定した経営ができると、大きな方向転換を図り水田を購入した。だが、その直後に国の減反政策が始まり、購入したばかりの水田が使えない状態となった。
困惑した昭利氏は、様々な情報を探った結果、ナメコ栽培に踏み切った。その理由としては、「365日労働・収穫ができるもの。家族だけでできるもの。農地を利用できるもの」という条件に合致したため。こうしてきのこ栽培農家として、ナメコの他にヒラタケ・エノキ・マイタケなども栽培するようになった。
「有限会社 福田農園」の場所を地図で確認できます。
|
創立 |
1992年4月1日 |
代表者 |
代表取締役 福田 将仁 |
住所 |
〒041-1134 北海道亀田郡七飯町鶴野83番地 |
TEL |
(0138)65-5522 |
FAX |
(0138)65-1818 |
E-mail |
info@k-kinoko.co.jp |
URL |
https://www.k-kinoko.co.jp/ |
従業員 |
10名 |
年商 |
5,000万円 |
資本金 |
300万円 |
|
|
その後きのこの市場価格が下落し、再度経営が脅かされることとなった。そこで、つぎに目を付けたのがしいたけの菌床栽培。当時しいたけは、原木栽培が主で、菌床栽培は珍しかった。菌床栽培は、安定した収穫が見込める上に価格も安定している。そこに活路を見出そうとしたわけだ。
その頃に昭利氏の息子で現社長の福田将仁氏が大学を卒業して加わり、本格的なしいたけ菌床栽培の研究を始め、試行錯誤を繰り返した。そこで得たものは、美味しいしいたけを作るためには、本来のしいたけ生育と同等の環境を整えることだった。そのポイントは菌床と水の品質だった。しいたけは、ただ作るだけなら木を択ばない。だが、元来しいたけが自生するものはナラ・ブナだけである。そこで、菌床とするものは、100%道産のミズナラのチップとした。そして、水は横津岳の伏流水を利用することにした。つまり、自然界で生育する環境に限りなく近付けたわけだ。
|
▲しいたけの菌床栽培 |
|
社長の福田将仁氏は言う。「しいたけにとって良い環境を与えてやると自然に大きく成長するようになるんです。」
それは、より美味しいしいたけを生育させようと試作を続けていた過程で発見された。栽培していた中に、巨大なしいたけが生まれたのだ。早速家族や知人で試食してみた。すると全員が美味しいとの反応。これからの高齢化社会で、ヘルシーで食べ応えのある食材として適しているのではないか。そう考え、更なる研究を進めた。
ところが、市場の反応は違った。はじめのうち大きすぎるしいたけは「規格外」として取り扱われた。どんなに美味しくても流通に乗ることはなかった。それでも、福田農園は作り続け、市場に出し続けた。
そんな信念を貫く年月が10年も経った平成21年、しいたけの全国の品評会で最高賞である「ゴールデンサンマッシュ賞」の受賞の栄誉に輝いた。さらに林野庁長官賞も平成21年から3年連続で受賞。
ゴールデンサンマリッシュ賞を受賞したことを機に、それまで「肉厚しいたけ」という商品名だったものを「王様しいたけ」とし、商標登録した。また、積極的にPR活動を行い、渡島支庁からの紹介で各地のシェフに試食してもらった。はじめは疑心暗鬼で食べたシェフたちは、その美味しさに衝撃を覚えたという。この時、「王様しいたけ」の高級食材としての今日の地位ができた。
現在は出荷先の半分くらいが直接百貨店やシェフとなるほど、その評価は高い。贈答品としての注文も多数ある。
|
▲王様しいたけ
▲ゴールデンサンマッシュ賞を受賞
|
|
福田農園の探究はしいたけに留まらない。今生産し流通に乗せ始めているものに「ムキタケ」がある。これも好評を博しており、「黄金の茸、ななえ。」という商品名で福田農園直販場と大丸札幌店で販売(生産量の関係で現在は不定期販売)している。
今後は、「王様しいたけ」の増産に加え、更に大きなしいたけを商品化することも予定されており、常に品質にこだわる福田農園のきのこは、北海道農産物の期待のブランドとして成長することが期待される。
|
▲黄金の茸、ななえ(ムキタケ) |
|
|