函館・道南では、地元の資源やオリジナルな技術を活用したユニークな企業が数多く活躍しています。
当ホームページでは、それらの企業を取材し、広く全国に向けて発信しています。
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↑本店店舗(江差)
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江差が発祥の五勝手屋、その羊羹は独特の風味に加え、卓抜なアイデアのパッケージが好まれ、有名デパートの全国和菓子コーナーなどでもよく見かける全国ブランドに成長した。直営店舗は江差の本店のみだが、北海道内主要都市、本州方面でも多数のデパート、土産店などで外販を行っており、扱い店舗は100店以上という。
現社長の小笠原敏文氏は創業者多助氏から数えて6代目。取材では現社長にお話をうかがった。
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創業 |
明治3年(1870年) |
代表者 |
代表取締役 小笠原 敏文 |
住所 |
〒043-0043
北海道檜山郡江差町字本町38番地
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TEL |
(0139)52-0022 |
FAX |
(0139)52-0895 |
E-mail |
info@gokatteya.co.jp |
URL |
http://www.gokatteya.co.jp/ |
資本金 |
2,000万円 |
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江戸時代中期から明治の初期、江差はニシンの大漁で賑わっていた。漁期になると東北などからも多くの人々が出稼ぎにやってきて、「江差の春は江戸にもない」といわれるほどの繁栄を謳歌したという。日本海を航海して江差にやってくる北前船は京都などの文化や風習をもたらし、その遺産は現在の江差の祭りや町並みにも色濃く観察できる。
当時、江差町の南隣にあった、五勝(花)手村への入植者が栽培を始めた小豆を使用して餡を練り、和菓子を製造販売したのが五勝手屋の創業だったという。明治3年(当時は小笠原菓子店)本格的な営業を開始、明治天皇の北海道行幸時に土産として買い上げられるなど、徐々に評判が高まっていった。現在の丸缶の赤いパッケージにも「宮内庁お買い上げ」の文字が印刷されている。
その後も羊羹のみならず、多種の和菓子を扱ってきたが、1970年代以降、五勝手屋羊羹のブランドが急速に人気を博し、販路が全国に広がることになった。いまや北海道を代表する和菓子として全国的な知名度を獲得している。
羊羹の原料として一般的には小豆(あずき)が用いられるが、五勝手屋では珍しい金時豆(十勝産)を使用。独自の製法で透明感のある琥珀色の粘り気のある製品に仕上がっている。丸缶タイプはカジュアルな食べ方に適し、流し羊羹の方は仏事・祭事などあらたまった席にふさわしい。特に丸缶タイプは切り方に独特の工夫があって、お子さんには特に人気が高い。専務によれば「この羊羹の独特の食べ方を通じて親子の小さなコミュニケーシンが生まれ、それが次の世代に羊羹を繋いでいくきっかけになってほしい」そうだ。
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▲明治時代の五勝手屋
▲五勝手屋羊羹(丸缶)
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スイーツの多様化、特に若年層にはクッキーやケーキなど洋風菓子が好まれる傾向が強まっていて、和菓子全体の売上は漸減傾向にあるといわれる。肥満防止のためのカロリー摂取制限という風潮もマイナス材料。とはいえ、そうした環境の中でも五勝手屋の羊羹の売上は堅調だ。北海道の原料というブランド力と素材の安全安心、独特の風味と味が根強い人気を支えている。
流し羊羹を食べるシーンを想像すると、あらたまった席(和室、畳敷き)で、菓子皿に綺麗に置かれた羊羹を、抹茶などとともに頂く、それも爪楊枝でさらに一口サイズに切り分けて、となる。こういう食べ方は日本の伝統的な文化・伝統と強く結びついている。一方で、それが羊羹を食べるときのマナーとしてすこしばかり堅苦しいイメージをもたらしているともいえる。
実は、こうした「伝統・文化」との結びつきを活用して、羊羹の国際的ブランド化を図っていこうという動きもあるという。老舗の虎屋などが音頭をとって、2019年にニューヨークで大々的な「羊羹と日本文化」を紹介するイベントも開催予定とのこと。それもデパートなどではなく美術館でスタイリッシュに。パリっ子に羊羹の美味しさをアピールし、そのブームを逆輸入して新しい羊羹のイメージ作りに繋げたいという。画期的な試みだ。
一方で、江差という町に根付いた本店は、町のお客様にしっかりと和菓子を届け続けるという使命もある。五勝手屋の羊羹は、田舎に帰ってきて、おばあちゃんと食べるというイメージの、懐かしい味でもある。それを守っていくのは、先代からの大事な「あずかりもの」を若い世代にしっかり受け継いでいくという「強い意思」が支えという。
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▲ショーウィンドウには多彩な和菓子
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